自己肯定感のお話

最近、「自己肯定感をあげよう」とかいうキャッチフレーズが
ちまたでは当たり前になりましたよね。
ネガティブな言葉や、自己否定ばかりをするより、
自分をほめてあげたり、自分の良い部分を認めるという考え方の習慣が
メンタルヘルスや、働き方のモチベーションにおいて
重要と考えられているようです。

ずーーーーーーぅっと、この問題は、私に違和感ばかりを残し、
一方で、どう考えて整理したらいいかよくわからなかったので
しばらく沈黙していました。
今の風潮は、他人に厳しいという社会もあるし、
せめて自分だけは肯定してあげようという歴史的な経緯もあると思うのです。
私が育った10代20代は、そういうワードは存在してませんでしたし、
なんでも厳しくとか、なんでもスパルタというのを肯定するつもりもないし、
「昔がよかった」と言いたいわけでもありません。
でも違和感はあるんです。

このブログを読んでいる皆さんは、どうですか?どう思いますか?

私の結論は、以下のようにまとまりました。
自己肯定感を高めても、
自殺者は減らないし、鬱になる人たちも救えない

これにつきます。
自分をほめようが、自分をけなそうが、鬱にもなるし、死んだりします。
たぶん、鬱になって働けなくなったり、自死を選ぶということを止めるためには、
何らかのしがらみ(家族や友人関係)や、自分の居場所、自分を必要としてくれるものなどじゃないかと
推測をたててます。
(あくまで推論です。私は専門家ではないので)




会社などの組織でうまくいかなくても、
休みにまったく違う世界で何か自分が生きててもいいと実感できるしがらみや居場所があれば
おそらくは平日死にたくなっても、思いとどまるんではないか。
もちろん、家族や友人がいても、自分への自責の念や正義感で
死んじゃう人もいるでしょうね。そういう人は、多分、自己肯定感のあるなしではないと思うんです。
「死ぬぐらいなら、仕事やめちゃって、違う人生生きちゃう」という違う選択(軽いフットワーク)に
気持ちを切り替えられかっただけだと思うのです。
追い詰められすぎて視野が広がらない。それは本人が悪いわけじゃないです。
でも、組織って、個人を追い詰めるのは当たり前にやっていますから、
日常的に辞職を選ぶことに躊躇しなければもっと身軽にはなれるんじゃないかなぁと。
(経済的な負担は今は考えないことにしますけど)

私が正社員でブラック企業に勤めているときよりは、
派遣で働くようになって、ずっと気持ちは楽になりました。
やめればいいだけですから。転職回数は増えるけど、
とりあえず次の派遣はあるんだし、無理して続ける意味はないのです。
「辞めることは悪」という考えさえやめればいいだけです。
それは自己肯定感ではないですよね。

かくいう私も生きている理由は、
猫を飼っているということにつきますね。
彼女(老婆猫)が死んだら、生きている「しがらみ」がなくなるので
私も危ないかもしれませんw

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