介護離職からの。。。その5

私は老猫を一匹飼っているのですが、
いよいよ長期自分のマンションを離れることになり、
部屋を片付け、猫を移動用のケースに入れる段になると
猫が必ず部屋の片隅の椅子や収納の影に隠れていきます。
自分がこの場所を連れ出されると、うすうす察知して
最後の抵抗を試みるのです。なんとも切ない気持ちになります。
この猫を飼い始めてから、海外はもちろん、国内旅行もできなくなったのですが、
今回ばかりは、連れ帰らないとしょうがありません。
新幹線に長時間載せて、実家という慣れない場所まで一緒に行ってもらいました。

帰宅すると、母親は、ごはんを作ってました。
といっても、缶詰など簡単なものを食卓にならべて
「勝手にごはんたべてね」と言ってました。
ご飯を家族に食べさせることが生きがいだったような母が
それぐらいしかもうできない状態だということです。
腰が痛いと訴えながら、私を見るなり自分の部屋に帰っていきました。

ここから毎日、毎食私が作り、食べさせて、
薬を飲ませ、話し相手も少しなり、買い物、お洗濯、掃除などをする生活がスタートします。
母は、腰の痛み止めと、胃薬、血圧の薬など何種類かの薬を服用しているのですが、
本人が飲んだかどうか忘れてしまい、ずっと薬の紙袋をゴゾゴソとしているのが
なんとも困ったことでした。
まだ親御さんが60~70代の方だと気づかないかもしれませんが、
80代過ぎると、こういう整理するとか、食前食後に規則的に薬を飲んだことを覚えているかとか、、、
細かい日常のことが苦手になりできなくなります。
その作業している間いつもイライラしている状態です。
それを見てあげなければなりません。
ただ私の母親は軽いほうらしく、認知障害が酷い親御さんだと
もっと苦労されていると聞きました。

父が亡くなって一人というのもあり、
悪夢にうなされたとか、死にたい気持ちと、死ぬのが怖いという不安感が
ずっとつきまとっていて、不眠症も続いてました。
精神的な混乱で、あちこち体の不調を訴えるのも、今回ずっと悩まされた問題でした。
お腹がいたい
頭痛がする
微熱がでる
身体がだるい きりがありません。

またごはんを全然食べてなく、骨や筋肉を強くしないといけないのに、
ベッドで寝てばかりで起きなくなったのも状況を悪くしていました。
それで、包括支援センターの担当の方と相談して、心療内科を
受診させることになりました。
鬱の治療に入ったのです。
本人は、かなり嫌がりました。自分が精神病だと思いたくないからです。
ですが、包括支援センターの方が熱心に説得をしてくださり、その方から言われたことで、
本人も渋々納得してなんとか連れていくことができました。

1か月を過ぎるぐらいから
ようやくごはんをいやいやながら食べるようになり、
心療内科の通院も慣れてきて、
前ほど悲観的なことを口走ることがなくなりました。
(一方で、私はどんどん介護鬱にはなりましたが、、、)
介護については、本当は、もっと細かい話も書きたいところですが
(救急車を呼んだり大変なこともまだまだありました)、
派遣のブログなので、このへんにしたいと思います。

実家で知り合いも少なく、たまに一人で街中へ外出したりしましたが、
母が6時過ぎて帰宅すると不安になるようで
明るい時間帯にしか外出できず(日中は逆にごはんの支度があるので、外出できません)
なかなか私の気分転換はできませんでした。
苦しい中で、なんとか過ごせたのは、一緒にいてくれたニャンコと
先日書いた推しの存在です。
推しの配信を見ているときは本当に、救われました。
そして、私自身も、配信をしていたため、
配信で知り合った友達とネットをとおして音声で雑談をしていて
なんとか行き詰まりな精神状態を明るくできたのでした。
配信アプリがなければ、もたなかったかもしれません💦

次回の記事は、相続の手続きについて書きたいと思います。

※広告をどこかクリックいただけますと、私に少しだけ収益がはいってありがたいです

google-site-verification=cAmJvaYZ7N7SHLT5STgn5jsRyetYgna2IE2fq1ZTbjU